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東京地方裁判所 昭和41年(ワ)11957号 判決

原告 榎本真平

右訴訟代理人弁護士 溝口喜文

右訴訟復代理人弁護士 小林秀正

被告 横山忠太郎

〈ほか一名〉

右訴訟代理人弁護士 高安安寿

主文

被告両名は原告に対し、昭和四六年五月五日限り金三五〇万円の受領と引換に別紙物件目録記載の建物を明渡し、かつ、連帯して昭和四一年一二月一五日以降明渡済まで一ヶ月一万五〇〇〇円の割合による金員の支払をせよ。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用は被告らの連帯負担とする。

事実

原告訴訟代理人は期限および引換給付の点を除いて主文第一項同旨および訴訟費用被告ら負担の判決ならびに仮執行の宣言を求め、更に、予備的に、引換給付二〇〇万円としてその他は期限の点を除き主文第一項同旨の判決を求める旨申し立て、請求の原因として、

一、昭和三二年当時、本件建物は訴外田中卓子、同俊男、同幹雄の各三分の一の持分による共有に属したが、原告は、同年八月九日、右俊男、幹雄を連帯債務者とし、卓子を連帯保証人として金二五〇万円を、返済期昭和三七年八月八日と定めて貸し付け、その担保として、本件建物に順位一番の抵当権を設定し、昭和三二年八月一〇日、東京法務局墨田出張所受付第二二五〇九号の登記を経由した。

二、昭和三三年九月一日、右田中卓子は被告横山に対し、本件建物を建物(工場)内据附の機械類一式と共に、期限の定めなく賃料月一万五〇〇〇円毎月末日支払の約で貸し付けた。

三、昭和四一年一月、原告は前記抵当権の実行を申し立て、同年七月一四日競落し、同年九月六日代金を支払って本件建物の所有権を取得し、田中卓子の前記賃貸人の地位を承継した。

四、被告横山の賃貸借は、原告の抵当権設定後であるから、民法三九五条・六〇二条の解釈上、三年の期間で更新し、競売申立登記後は更新を許されないと解すべきものであるので、昭和三九年九月一日更新後、昭和四二年八月三一日を以って終了したのであり、従って、競落人である原告には対抗できない。

五、かりに、右のように解されず、期限の定めのない賃貸借として借家法一条の二の正当事由を備えた解約の申入れを必要とするとしても、原告は、昭和四一年一二月八日の本件訴の提起により解約の申入れをしたこととなり、後記のように正当事由を備えているので、六ヶ月を経過した昭和四二年六月八日賃貸借は終了したものである。

六、右申入れには次のとおり正当の事由がある。すなわち、原告は訴外株式会社榎本商店の代表者であるが、訴外会社は実質上原告の個人会社であり、その事業は金属材料の販売と加工であるところ、加工の主要部分を占める熔接作業を行う場所としては、墨田区内の本店兼営業所から七粁離れた足立区内の関東機工株式会社の工場敷地内に土地一〇〇坪、工場一棟(二〇坪)を一ヶ月一五万円で借りているだけで、不安定であるので、一粁しか離れていない本件建物を工場にあてようと考えてこれを競落したのであって、十分必要性がある。他方、被告横山は、本件建物約三九坪(敷地は約六〇坪)のうち約二四坪を占める工場部分の半分しか使用しておらず、働いているのも被告横山親子と工員一名の計三名のみであり、建物利用の効率からも原告側使用の場合に劣る。

また、先に行われた調停の際原告は種々の移転先を物色して提供したが被告横山は応じなかったのである。なお、原告は、調停委員の勧告に応じ、立退料二〇〇万円を提供したが、本訴においても、この負担をいとわないものである。

七、被告有限会社坂部製作所は全く権原なしに本件建物を占有している。

八、以上により、被告両名はいずれも原告に対し本件建物を明渡すべき義務があり、また被告横山は昭和四二年六月八日までは賃料支払義務を、それ以後は賃料相当の損害金支払義務を、被告会社も当初から賃料相当損害金支払義務をそれぞれ負うので、両名連帯して、訴状送達の翌日である昭和四一年一二月一五日以降明渡済みまで月一万五〇〇〇円の割合による金員を支払うべきである。よって請求の趣旨の判決を求める。

九、なお、前記のように、正当事由を補強するため立退料の提供が必要となる場合を顧慮し、金二〇〇万円の反対給付を条件として前記明渡および給付の判決を求める。

と述べ、被告主張のような賃貸借が田中鶴司との間に成立したことを否認し、「かりに地代と固定資産税とを代納していたとしても、それらは建物の維持保存のため支出される費用であるから民法五九五条一項の通常の必要費に属し、建物利用の対価とは言えず、単に使用貸借を成立させるに過ぎない。」と反論した。

被告ら訴訟代理人は、請求棄却、訴訟費用原告負担との判決を求め、請求原因に対して、「第一項中、昭和三二年頃本件建物が原告主張の三名の共有に属したこと、および原告主張のような登記のなされたことは認めるが、その余は不知。第二項は否認する。同日の契約は賃料改訂のためである。第三項は認める。」と答え、被告らの事実主張として、

一、被告横山(もと坂部姓で昭和三七年に至り横山姓となる)は、鳩目製造工場を経営していた田中鶴司方に昭和一四年以来雇われ、信任されて工場の主任になっていたが、右田中は昭和二〇年三月九日の大空襲で住居を焼け出され、自分は千葉県の出身地に帰って工場の機械を長野県諏訪へ疎開しようということになった。被告横山は田中に依頼されてこれを宰領し、終戦前後の頃機械を守って信州に疎開していた。田中自身も一旦は千葉県下から更に諏訪まで疎開して来たが、そのうち終戦となり、機械と共に被告横山は再び本件建物に帰来した。

二、しかし、田中は既に自ら事業を継続してゆく気持を失っていて、昭和二一年三月頃、被告横山に対し、退職金などを出せない代りに事業一切を譲る旨告げた。被告横山は、これに応じて、本件建物と工場内機械を借り受けることとし、賃貸借の期間は定めず、賃料は、敷地の地代および建物の固定資産税の納入を立て替えて、これを相当家賃の支払とする旨の合意の下に、以後本件建物および機械を使用し、朝比奈製作所寺島工場として同製作所の下請仕事に従事した。

三、昭和二四年二月二六日前記田中鶴司は死亡し、卓子・俊男・幹雄の三名が相続して以後、昭和三二年一〇月八日被告横山はそれまでの個人経営から有限会社坂部製作所(被告会社)を設立したがもとより個人会社で経営の実体、建物占有の状況には変化はなかった。

四、昭和三三年八月頃、前記田中から三人は賃料改訂を申し入れて来たので、被告横山は、既に十数年経過したことでもあるのでこれに応じ、改たに契約書を作ったのである。

五、右のような次第で、被告横山は原告の抵当権設定より遙か以前から本件建物を賃借し引渡しを受けているのであるから、その賃借権を以って原告に対抗しうるものである。原告主張の解約申入れは正当の事由がない。けだし、被告横山にとっては、本件建物は家族もろとも生活の唯一の本拠で戦後自分の費用で数回修理して数十万円を投じて来ており、ここを失っては路頭に迷うしかないのに反し、原告は、鳩目材料販売商として墨田区吾妻橋一丁目に店舗を構え、他に貸家を有し、また熱海市内に居宅もあって、本件建物に対する自家使用の必要性がないからである。原告の請求は、信義誠実に反し、権利乱用であって、無効である。

六、また、被告会社の実体は前記のとおりであるから、被告横山の占有以外に会社独自に占有している部分はない。

七、よって、被告らに対する請求は失当である。

と述べた。

立証≪省略≫

理由

一、本件建物が原告主張の競売手続により原告に競落され、原告所有に帰したこと、および被告横山と、本件建物の前主田中との間には賃貸借関係が存し、原告はその賃貸人たる地位を承継するに至ったことについては、当事者間に争いがない。

二、問題は、その賃貸借の始まったのが何時かということである。原告は、昭和三二年八月一〇日という当事者間に争いのない抵当権設定登記の日以後である昭和三三年九月一日に賃貸借契約がなされたとし、成立に争ない甲第四号証を以って立証せんとする。この甲第四号証は被告横山(当時は坂部姓)が田中卓子・俊男・幹雄の三名に対し、被告会社を連帯保証人として差し入れた「建物賃貸借契約書」であるが、冒頭に物件(本件建物と機械)を表示し、賃借料月一万五〇〇〇円(住居部分七〇〇〇円、工場機械八〇〇〇円)を明記し、「右は貴殿御所有の建物を昭和三三年九月一日より前記の賃料を以て私共に賃借致しましたので云々」と前文があって、以下月並の賃貸借契約条件を列記した体裁となっており、右文言からすれば、たしかに、原告の主張するとおり、昭和三三年九月一日から賃貸借が始まったように解されないではない。

三、しかしながら、≪証拠省略≫を総合すると、次のような事実が認定できる。

(1)  被告横山は(昭和三八年以前は坂部姓であった。以下単に被告という)、昭和一四年頃、亡田中鶴司の経営していた鳩目製造工場に入ったが、昭和一七年頃からは事実上職場の中心的存在となり、田中からも右腕として信頼されていた。戦局は次第に苛烈化し、やがて昭和二〇年三月九日の空襲で田中一家は焼け出され、焼け残った本件建物に一時被告方と同居するなどしたが千葉県の田舎へ疎開し、他方、本件建物内の機械は被告が疎開業務をまかされて無事長野県下諏訪まで運んだが、そのうち終戦を迎え本件建物に戻って居住することになった。

(2)  しかし、田中は自身で事業を継続する意欲を喪失しており、経済的にも、従業員給料も終戦後は支払えないような状態であったので、被告に対して、本件建物と機械を利用して自ら事業を継続するよう慫慂し、「退職金も何もやれぬが、家賃は(本件建物敷地の)地代と家屋税(本件建物の固定資産税の意)を支払ってくれればいい」という条件を出したので、被告はこれに応じ、以後、地主重城に対する地代の支払も、東京都に対する固定資産税の納付も、すべて田中名義で自己の出捐により支弁しつつ、田中経営時代もそこからの発注品の下請をしていた朝比奈製作所の下請工場として「朝比奈製作所寺島工場」の看板の下に事業を始めた。

(3)  その後、昭和二四年二月二六日田中鶴司は死亡し、田中卓子・俊男・幹雄の三名が本件建物を相続して持分三分の一宛の共有者となったが、被告との本件建物使用関係は先代鶴司当時のまま継続していた。当時俊男(昭和一二年二月一日生)、幹雄(同一四年一〇月一八日生)はまだ幼少であったので、卓子は、亡鶴司の甥にあたる林謹司を相談相手とし、昭和三六年頃にまで及んだが、その間、昭三二年八月本件建物を担保として原告から融資を受けるという請求原因第一項の事態(この点は当事者間に争いがない。)が生じ、その借金の返済の必要から、本件建物を被告が使用する対価を徴収しようということになった。

(4)  被告の方も、前記朝比奈製作所の代表者である朝比奈明弘から、単に地代や税金だけでなく、正式の家賃を支払うよう忠告されたこともあり、また亡鶴司から借りてから既に一〇年近く経過していることでもあるので、田中方からの申入れに対して異存なく、かたがた、対税策のための事業の法人化も考えていたので、この機会に有限会社坂部製作所の設立登記もすることになり、結局、昭和三三年九月一日、甲第四号証の賃貸借契約書が作成され、また乙第八号証の登記がなされた。そして、以来、被告は田中に毎月一万五〇〇〇円を支払うようになった。

四、さて、前節に認定した経緯の下に、本件第一の争点である賃貸借と抵当権との先後の問題を見直してみると、甲第四号証の文言だけに頼って、昭和三三年九月一日に始めて賃貸借が成立したと見るのは、軽卒の謗りを免れまい。建物引渡の点から見れば、被告は戦後ずっと居住し使用しているのであり、また、その対価として、少なくとも敷地の地代と家屋の固定資産税を負担して来ているのである。従って、問題は、右のような支払額が賃貸借の対価たりうるか、右の程度ではなお使用貸借たるに止まるか、という判断に帰すると言える。

五、原告は、これらの支出は、民法五九五条一項の「通常ノ必要費」に属すると主張するのであるが、当裁判所はその見解を採用することができない。後に判示するように、それらを借主が負担したからといって直ちに使用貸借でなくなるものではないが、そのことから、建物の使用借主に対し当然に敷地の地代や建物の公租公課を代納する義務を負わせうるものではない。右のような支出は、使用貸借たると賃貸借たるとを問わず、本来、常に建物の所有者すなわち貸主の「負担ニ属スル必要費」(民法六〇八条一項)であり、民法五九五条一項の「通常ノ必要費」の範囲内には含まれない、と解するのが相当である。

六、しかしながら、使用貸借であるか賃貸借であるかは、要するに(いわゆる要物性の要件は論外として)使用の対価として賃料が支払われるか否かの相違なのであるから、たとえ、借主が貸主に対して若干の金員を支払っても、対価性が認められない限り、使用貸借としての認定をするに妨げとならないことは言うまでもなく、このことは、建物の貸借において、その若干の金員の支払が、敷地の地代や建物の固定資産税の代納という形でなされても変るところはない。そして、建物使用の対価として普通に要求せられる家賃の額と、敷地の地代ないし建物の固定資産税額との間には、通常かなりの懸隔があることは公知の事実であるから、特段の事情のない限り、当然に対価性を肯定することはできないと言うべきであろう。

七、ただ、本件被告の場合には、正にその特段の事情の存在を推認しうると言ってよい。つまり、先に第三節で見たような被告と亡田中鶴司との特殊の結び付きから、被告の本件建物使用の対価として地代と固定資産税の代納だけで足りるという契約内容になったと認められ(る。)≪証拠判断省略≫すなわち、亡鶴司と被告との間には賃貸借が成立していたのであって、使用貸借ではない。換言すれば、昭和三三年九月一日の甲第四号証の契約は、その文言にかかわらず、新規の賃貸借契約ではなくて、賃料改訂のための契約文書作成に過ぎなかったと見るべきものである。――もっとも、右のように、特段の事情によって漸く賃貸借であると解されるような――別な見方からは使用貸借であると主張されることも一応は已むを得ないような――弱い契約的立場にあるとの自覚も、被告をして甲第四号証の作成に至らしめた、一理由であろうことが、右に認定した諸事情から同時に推認されるのであって、この点は、後に、解約申入れについての正当事由考量の際十分に斟酌されなければならぬと考えられる。

八、以上のとおりで、被告の本件建物賃貸借は、競落人である原告に対抗しうるものである。そこで、進んで、原告が予備的に主張する請求原因である借家法一条の二の解約申入の正当事由の有無について判断する。

≪証拠省略≫を総合すると、次の事実が認定できる。

(1)  原告は、株式会社榎本商店の代表取締役であるが、同会社は、昭和二七年六月資本金二五〇〇万円で設立され、事実上はすべて原告が出資した個人会社で、伸銅製品の加工販売を行っているところ、熔接工場として現在使用しているのは足立区千住在の関東機工株式会社の敷地一〇〇坪を借りて建てた工場で、毎月一五万円支払っているが、墨田区吾妻橋一丁目にある本店所在地のビルディングまでは六粁も離れており、しかも右ビルは、一階が事務所と材料置場、二階は原告と息子夫婦の住居および食堂、三、四階は従業員宿舎で、右の工場をこのビルディング内に収容する余裕は全くない。

(2)  そこで、原告は、右工場よりも本店ビルに近く二粁しか離れていない本件建物を競落し、これを熔接工場に改造することを計画しているものであって、必要に迫られて立退料を払うことも苦しからずと、調停において、調停委員から勧告のあった二〇〇万円を提供することも辞さなかったが、調停成立に至らなかった。

(3)  しかし、原告個人は、現在熱海にも居宅を有しており、そこに家族を住わせているのに反し、被告は、本件建物を居住的にも職業的にも生活の本拠としている。

九、以上を前提として、解約申入れの正当事由の有無を考えるに、もし、先に第七節で言及したような考慮をしなくてもよい事案、すなわち、被告の賃貸借が争いの余地のないほど確固としている場合であったとすれば、正当事由を肯定することは躊躇されると言わざるを得ないのであるが、前示のように、特段の事情の認定によって辛うじて抵当権の設定登記前における賃貸借の成立を認定しえたという事情を加味すると、通常の場合よりも賃借人に不利な判断となっても已むを得ないと考えられるのである。

一〇、そこで、当裁判所は、原告が既に二〇〇万円までの立退料の提供をも正当事由強化のため申し出ていることを考慮し、その金額を三五〇万円とすることで、本件解約申入の正当事由を肯定するものである。このように、原告申出にかかる額を越えた立退料を引換給付の対象とすることに対しては、この場合賃貸人側に立退料支払義務の発生することを要するとする立場からは、理論上の疑念が存するところであるけれども、当裁判所は、立退料提供が正当事由の一要素となるのは、賃借人に対して賃貸人が法律上申出額までの支払義務を負うたと認められる場合、その理由によって然るのではなく、相当額の立退料を提供したというその事実自体が賃貸人側の必要性を加重し、正当事由を支えるのであって、必ずしも支払義務を負担していなくてもよい、と理解するものである。その意味では、正当事由の存否が訴訟で争われ、終局的な判断が裁判所の判決にかかっている場合における賃貸人たる原告側からの立退料提供による正当事由の主張は、あらかじめその額を上限とすることが明示されていない限り、一般には、賃貸人側としての一応の数字を申し出たに止まると解すべきである。従って、裁判所がそれを越えた額の立退料の提供によって正当事由が充足されると考えた場合、口頭弁論終結時における賃貸人側の資力、明渡の必要性等諸般の事情に照らし、原告の相当額申出の趣旨に反しない限りは、増額することが可能であり、その場合でも解約申入の効力自体は、先の申出額が不相当に低額でない限り、そのより低い額での提供がなされた時点において正当事由を備えたものとして扱われ、六ヶ月を経過すれば解約の効力を生ずるものと解すべきである。けだし、解約申入を効力あらしめるために必要な正当事由は、この場合、賃貸人側としては相当額の立退料を出捐する用意があるという意思通知がなされたことによって一応充足されているのであって、あとの金額の増加は、その相当額として賃貸人側の提示したところが裁判所の考えた結論と齟齬したための修正に過ぎないのであるから、相当額と称するに足らぬ著るしい低額の提示があったとか、上限であることが明示せられたとかいう場合でない以上、この両者が一致しなかったからといって(もっとも、裁判所の相当と見る額が申出額より低い場合には、訴訟法の原則上、申出額に従わざるを得ないから、問題は専ら、裁定額が申出額より高い場合に関するが)、卒然、正当事由を否定し、解約申入を無効と解し、明渡請求を棄却するのは、事宜に反することであり、賃貸人たる原告の訴旨にも則しないこととなるからである。万一、裁判所による増額が原告の予期に反し多額で、そこまでの出捐を欲しない場合であれば、原告としては執行をあきらめればよいのであって、判決において引換給付を命じられたからといって、原告に対する債務名義が成立するわけではないから、右のような解釈が賃貸人側に対し不測の不利益を蒙らせることはない。また、被告たる賃借人側にとっても、右のような解釈によって不利益が生じることはない。もし、賃貸人側の任意の立退料支払に正当事由の具備自体をかからせるのであれば、敗訴した賃借人の地位は不安定たるを免れないが、右の場合には相当額の申出によって既に正当事由は具備され、解約申入の効力は生じているのだからである。

一一、右の解釈に従って、本件を考えると、本件原告の解約申入は、昭和四一年一二月一四日訴状が被告に送達せられて後六ヶ月を経た昭和四二年六月一四日に至っても正当事由を具備しなかったが、その意思表示は依然黙示的に継続されていたものと解すべきところ、昭和四五年一一月五日の口頭弁論期日に、原告は予備的に二〇〇万円の立退料と引換給付の判決を求める旨申し立てて正当事由の主張を追加したのであり、この額は、前記のように裁判所の考えた結論より低いのであるが、なお、正当事由を具備せしめるに足る「相当額」と認めるに足りるから、先の理路に従い、以後六ヶ月を経過した昭和四六年五月五日には解約の効力を生ずることとなる。そして、原告が求めた二〇〇万円支払との引換給付額を三五〇万円とし、また期限を付することは、原告の請求を一部棄却することになるというべきである。なお、この場合、口頭弁論終結以後の時点にかかる期限を付することにより将来の給付の判決となるわけであるが、その要件の充足は弁論の全趣旨により認められるべく、その旨の申出も訴旨を善解して差支えないと考える。

一二、次に、被告会社の本件建物占有は、もっぱら被告の賃借権に依拠しているものであることは弁論の全趣旨からも認められるところであるから、被告が明渡義務を負うと同時に被告会社も同様に明渡義務を負うこと明らかである。

一三、結局、原告の主位的申立を棄却し、また、予備的申立についても、期限および引換給付額の点で一部棄却し、その余を認容することとし、訴訟費用については民事訴訟法九二条但書、九三条但書に従い、仮執行宣言は付せぬこととして、主文のとおり判決する次第である。

(裁判官 倉田卓次)

〈以下省略〉

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